復活祭(イースター)
3月〜4月の日曜日
●復活祭の起源
復活祭(イースター)はイエス=キリストが十字架上の死から3日後に復活したことを記念する日ですが、どうやらこの祭の起源はローマ帝国時代、あるいはそれ以前から行われていた異教の祭に関係しているようです。
ヨーロッパでは「死」と「復活」をテーマとする祭礼は古くから行われていました。例えばギリシア神話に出てくる美青年アドニス。彼のあまりの美しさに女神アフロディテ(ヴィーナス)と冥界のペルセフォネが争奪戦を演じ、結局ゼウスの仲介で、アドニスはアフロディテのいるこの世とペルセフォネのいるあの世を行ったり来たりすることになります。つまり死んだり生きたりするわけです。このアドニスが、キプロス島の人々やフェニキア人の間で<穀物の死と復活を司る神>としてあがめられ、毎年春分の日のころ、アドニスの死と復活の祭礼が行われていたということです。
農耕民族にとって、今年もちゃんと穀物が実るかどうか(穀物の“復活”)は大問題で、それで種まきを行う、あるいは草木が再び芽吹く(=一度死んだ草木の霊魂が復活する)春分の日のころにこうした祭りを行っていたのでしょう。
ローマ帝国でも、春分の日のころに同様の祭りが行われていました。<植物の死と復活>を司る神アティスの祭です。こうした祭礼が、キリスト教の広がりとともにイエスの死と復活を祝う祭と同化していったと思われます。
●復活祭の名称
復活祭を意味する英語<イースター(Easter)>は、ゲルマン人の「春の女神(夜明けの女神)」の名に由来するようです。太陽は東(イースト)から出るもんね。ゲルマン人も春分の日のころに祭をしていたのでしょう。ドイツ語でも復活祭は<オスター(Oster)>といいます(Ostはドイツ語のeast)。
復活祭はイタリア語では<パスクア(Pasqua)>、フランス語では<パク(Paques)>といいます。これらはラテン語のPaschaやヘブライ語のpesahに由来する、簡単にいうと英語の<pass(越える)>と関係がある言葉で、つまりキリストの死と復活がユダヤ人の「過越(すぎこし)の祭」の時に起こったからなのです。イエス様の死と復活という一連の出来事を「主の過越」と呼んでいたこともありました。
●復活祭の日どり
最初に述べたように、<穀物の死と復活>の祭礼は春分の日、あるいは春分の日を越えた最初の満月の日に行われていました。そのため復活祭もはじめのころは満月の日に行われていたこともあったようです。しかし新約聖書には、イエスの復活は「週の始めの日」とあります。325年のニケーア公会議で、復活祭は<春分の日を越えた最初の満月の日の次の日曜日>と定められ、これが現在まで守られています。だから年によって復活祭の日は異なり、最も早い年では3月22日、最も遅い年では4月25日となります。ヨーロッパ諸国ではこの前後に1週間ほどの「イースター休暇」があり、3月に入るころからみんな旅行計画に忙しくなります。
「キリスト教会の暦と行事」シリーズ(平野バプテスト教会)