平野バプテスト教会 「からし種」より


 
2003年・2004年の「からし種」は、こちらをご覧下さい。→2003年度 2004年度



 2005/12/25 「一人じゃない」   (村上弘之師)

 全く一人という孤独などはありません。そんなふうに感じるのは妄想です。

 今年はじめ妻をイエス様の許に送り、息子は学びの為一人住まいをし、私は一人となりました。でも、朝が来れば太陽といっしょ、顔を洗えば水、タオルといっしょ、外に出れば人と一緒、99ショップでは「まいどありがとうございます」といわれ、夕食に娘のところへ行けば孫たちと一緒、家に着くと妻の遺影といっしょ、夜、月と星と一緒。一緒のあなたがこの世を去っても、あなたの思い出といっしょ、私が死んでもイエス様と一緒、どんなに心が沈んでも冷たくなっても、イエス様と一緒。

 全く一人という孤独などは妄想だ。


 2005/11/6 「関西地方連合青年会『秋の修養会』に参加して」   (湯川SH)

 今回の修養会は宝塚教会で行われました。参加者は14名。テーマは「今、青年が青年会について問う!」で、1日目の夜に3人のパネラーから自分が何故青年会に来るのか、青年会に何を求めているのかなどを語って頂きました。そこからディスカッション形式で、自分は青年会に、教会に何を求めているのか、どういった関わり方をするのか、しているのか、などを考える時間をもちました。2日目には宝塚教会の牧師である木原桂二先生から昔の事を振り返りながら、青年会のあり方、青年としての生き方をメッセージとして語って頂きました。

 これまで僕は悩んでました。青年会はどうあるべきなのか。自分が青年だから何かをしなければならない。そう、強く日々思っていました。何かを。何かを!

 木原先生は青年は「問う」という事をテーマにもつこととしておられ、自分も死ぬまで青年でありたいとおっしゃっておられました。僕は内に留まることなく、外に還元すべきではと疑問を投げかけると、「その事はとても大切です。けれど、その前にあることは問う事ではないでしょうか。行動する事が目的になるべきではない。」と、語られました。大事な観点が自分に抜けていたなと反省した時でした。

 青年会はこれからもあるテーマを基に問いていく会でありたいと思いますし、そうなるでしょう。これからも無理することなく、やれることをボチボチやろうと思います。もし、集まった中に問う事ができない人がいるのならば、無理強いすることなく、その人の疲れをリフレッシュする事ができるように。そのように関われたらいいなと思います。これからも青年会の為にお祈り宜しくお願いします


 2005/10/30 「現実主義の危うさ」   (柴田良和師)

 10月22日(土)に、宗教の違いを超えて平和を願う人たちの集まりである“大阪宗教者九条の会”に参加しました。カトリック北野教会で行われました。
 英知大学国際文化学科教授の松本耿郎氏の「イスラーム世界と平和憲法」と題した講演をお聞きしました。その中で、イスラーム世界に生きる人たちも、文化や宗教的習慣の違いはあれ、ほとんどの人たちは私たちと同じように平和を望み、平穏な暮らしを願っている人たちであると知らされました。
 印象に残ったのは“現実主義”という言葉です。
 私たちは今、妙な現実主義(マスコミなどで流布される)に巻き込まれようとしている。虚構の現実(主義)を作って、軍事行動を正当化(勝ち組になるため−利益・財産・権力のため)している動きがあると言われました。現実を無視した現実主義にだまされ、巻き込まれないようにと語られました。世界の99%の人たちが平和がいいと思っているという言葉に勇気付けられました。


 2005/9/25 「聖和大学の教会教育フォーラムに参加して」   (中村尚子師)

 連盟の宣教部の依頼で、今月半ば、西宮の聖和大学で行われた「教会教育フォーラム」に参加してきました。教会学校と公教育の関係と今までの歴史の中での問題点など、私的にはいくつも収穫がありましたが、中でも一番の出会いは、大正から昭和初期の時代に活躍した田村直臣(たむらなおおみ)という牧師についての、聖和大学の小見のぞみ先生の研究発表でした。小見先生はある日、子ども向けに書かれた古い教会の「かわら版」のようなものを見つけ、それを毎週書いていた田村直臣という牧師にひかれ、調べているうちに、日本の教会学校史上とても重要な人であるということに気付かされ、以来、ご自分のお子さんもあきれるほど、田村研究に打ち込んでこられました。私は小見先生のこの発掘?はものすごいことだと思います。

 田村氏はすでに大正時代から、「教会の中心に子どもを」ということを提唱し、東京の巣鴨教会でそれを実践していた牧師です。日本の教会は「教える会」と書く文字通り、聖書の勉強や信仰生活のことを「教える会」であるという感じが強く、また、日本の宣教が始まった江戸時代末期から、社会のインテリ層が教会の中心であり基準であったという歴史があります。現代よりさらに大人中心の集まりの要素が強く、子どもはただ教育を受けるべき無力な存在であると見なされていた当時のキリスト教界で、田村氏は「イエスが無条件で愛し、招かれた子どもたちを教会の中心に」と主張しました。

 その事で、田村氏は周囲に馬鹿にされ、無視され、冷遇を受けましたが、それでも教会で幼児、学童、若者の礼拝など、世代に応じた礼拝に取り組むなど、自分に与えられた思いを形にして教会を形成しました。まだ洗礼を受けていないからと、子どもたちを一段低い者として扱ってはならない。子どもたちは、何を持たずとも、まずそのままでイエスに受け入れられている。その福音を心から喜ぶ礼拝を、子どもたちが持てる。教会においては、このことが大事なのだと、田村牧師は述べます。私も同感です。

 子どもと同じように、日本の教会では端の方に追いやられてしまっている存在があると思います。それすなわち、社会の反映かも知れません。イエスはそういった人たちこそ、教会の真ん中にいるべきであると教えておられる。今回のフォーラムを通して田村直臣に出会い、そのメッセージをもう一度深く刻まれ、牧師である自分の姿勢を問われたように思います。


 2005/7/24 「たんぽぽくらぶ報告」   (藤本KY)

 7月19日(火)、曇り空の下でビニールプール2つを出して、たんぽぽの子どもたちは水遊びをしました。3才(男1・女1)、2才(男1・女2)の5人の参加です。

 教会でカラフルな水着に着替えた後、牧師館横のプールの場所まで一目散。「ワーイ!キャー!」と喚声が上がるかと思いきや、おそるおそるプールの側に立ち、ゆっくりとプールに入るこどもたち。なんとも地味なスタートなのでした。お風呂気分でも味わってるのかジーっと座ってるので、まわりの大人たちが「バシャバシャは?」と声をかけます。

 次第にじょうろで水をかけたりコップを使って遊び始めました。中でも水泳教室に通っているSちゃんは顔つけを見せてくれたりとても楽しそうでした。

 途中で幼稚園帰りのお兄ちゃん2人も加わってくれました。さすがに大胆に遊んでくれて急に盛り上がりました。

 十分に水を楽しんで、いざおやつタイムへ。今回もおいしいフルーツヨーグルトを目の前に、お母さんたちもとても嬉しそうに会話が弾みました。

 最後に、牧師館隣の方、玄関先を提供してくださって有難うございます。皆さんの温かい思いに感謝!


 2005/7/3・10 「オリーブの会」   (吉田K)

 6月30日、オリーブの会がありました。柴田牧師、中村牧師(初参加)、柴田和美姉、吉田、西上姉、西上姉のボランティア仲間Nさん、Kさん、西上姉の孫みすずさん(平野教会の礼拝に何度か出席されています)、御子のみゆちゃん(3歳)、計8+1名が出席。

 定刻10時。お祈り、賛美歌、ルカによる福音書8章輪読。後、柴田牧師による段落ごとの概略、留意点のお話しがあり、その後は出席した方々がそれぞれ学んだ事、感じた事、知りたい事等、その他何でもフリートークに入ります。

 今回も、信仰歴55年?のNさんが口火を切りました。「1節に『イエスは神の国の福音を説き』とあります。私達、福音とはイエス様が十字架に架けられ、死んで葬られ、復活された、その事によって救いが成就された、と理解していますが、イエス様が生きていて語られた福音とは?」一瞬、オッ!オッ!オッ! 私の頭の中はまっ白になりました。すかさず「神の国に帰っていらっしゃいと言われたのでしょうかね。帰れ、帰れと度々言われてますものね…」

 Kさんもすごいのです。「ごく最近バプテスマを受けまして理解できないこともあるんですけど」とか「こういう所で言って良いのか悪いのかと思いますが」等言いつつ、哲学、心理学をかじった、仏教書を読んだ事とか多彩な切り口で参加され、例え話で語られるイエス様の言葉、行われたと書かれている奇跡の数々を私達はどう聞いていくかの学びを楽しいことと感じておられる様でした。

 12時までの時間も残り少なくなり、お祈りをもって終了です。

 吉田は不勉強で圧倒されるばかりですが、本音で語り合う事が出来、何ともすっきりし、何か嬉しくなるのです。西上姉もとても御元気です。3才のみゆちゃんも2時間とても良い子です。おおおばあちゃんとママとの楽しいランチタイムをひたすら待っていたのでしょう。


 2005/6/19 「CSおでかけ」   (古田R)

 あー やっぱり雨か・・・ 6月11日(土)CSのお出かけ。梅雨時で予報は今日から連日雨との事。

 参加者は子どもが7人、教師、高校・大学生とで6人。時間が決まって行われるイベントごとにだけ集まり、それ以外は、各自好き好きに見て回りました。昔の駅舎や新幹線・電車の運転室そこら中を触り楽しそう。

 男の子は特に運転ゲームが気に入ったよう。大人の方も昔の駅の映像展示物に思い出に浸りながら、目を細めて見ておりました。 昼ご飯のおにぎりをほうばった後、記念撮影にと屋外にある機関車・電車の前にて「はい!チーズ?!」・・・「??くん居てへんで」「えっ@?:*」 ・・・本人いたって普通に屋内の展示場に居りました・・・

 子ども達よ 先輩の悪いとこ見習ったらあかんで〜 解散後から連日嘘のように晴れ空・・・。教会のお出かけには迷子と雨・・・ジンクスになりそうです(^^ゞ


 2005/6/12 「たんぽぽくらぶOB会」   (中村尚子師)

 先週7日(火)、たんぽぽくらぶのOB会が行われ、昨年たんぽぽくらぶを卒業したばかりのお母さん方が来会されました。中村牧師の聖書からのショート・メッセージ(「すべての事には時がある」コヘレトの言葉3:1から)の後、お茶を飲み、湯川姉の手作りケーキを食べながら、それぞれに幼稚園・保育所に入園されたお子さんたちの近況や、お母さん方自身のお話などをお聞きしました。思いのほか話に花が咲き、「充実した時間だったね」と話しながら、午後1時過ぎに散会しました。

 子どもたちが保育所や幼稚園にあがる前は、家の中で母子だけで過ごす事が多く、気持ち的に煮詰まってしまいがちになりますが、入園後、今度は他の子どもたち同士やお母さん同士の関係が気になったり、発達のことで他の子と比較して我が子が心配になったりと、新たな悩みが生まれてくるものです。そんな心配事やたまったストレスなども、リラックスして話し合う、聞きあう広場に、OB会がなっていけたらと願っています。とにかく、たんぽぽくらぶを卒業しても、覚えてつながってくださっていることが何よりうれしく思います。

 なお、教会からの出席は湯川姉、藤本姉、中村牧師でした。ご奉仕に感謝いたします。次回は10月ごろの予定です。OB会は年に2〜3回になると思いますが、息の長い、地道な、あたたかい集まりに育っていきますようお祈りください。


 2005/6/5 「昼食会」   (柴田K)

 毎月昼食会が近づいてくると、ご飯を担当している私にとって、今度はどんなご飯にしたら皆さんに喜んで食べていただけるだろうかと一応悩みます。春と秋にはその時々の旬のものが色々とありますが、夏と冬の時季はいつも困ってしまいます。

 昨年12月、何にしようかと悩んでいた時、新聞の料理メモの記事が目にとまりました。“大根めし”のレシピです。一瞬、戦中戦後の食糧難の時のいやな記憶がよみがえりましたが、今は年中出回っている大根も、旬の今の時季なのだから案外いけるかも、と家で少しだけ炊いて試食してみたら、これが思いのほか美味しかったので“大根めし”に決定、当日の皆さんの反応も大変よく、毎月昼食会を楽しみに来て下さるMさんから、あまり美味しかったので次の日も“大根めし”を炊いた、とお聞きした時、今度はもっと美味しいご飯を作らねばと励まされました。

 またおかずも持ち寄りで、いつも8品以上それぞれの家の味つけの品々がお弁当箱に彩りよく詰められます。いただく時、お弁当箱の蓋をとったとたん、皆さんからワァー美味しそうの言葉が毎回発せられます。

 病のあるNさん、こんなに沢山はいただけないワといいながら、皆さんと楽しい会話をしながら結局全部食べてしまい、御自分でもビックリしながら、家で一人だととても食べられない量だけれど本当に美味しくいただけた、と喜んで下さっている姿に、月に一度だけれど昼食会の時を与えて下さっている主に心より感謝です。


 2005/5/29 「からし種」   (中村尚子師)

 文字通り「からし種」のお話。

 はじめて「からし種の木」なるものを見たのは、西南の神学部時代、駐車場横の空き地に植えられていました。今思うとまだ2年目ぐらいの枝ぶりで、高さは1メートルほどで高さの割には枝が細くて支柱をしてやっと立っているという具合でした。

 その後、中四国連合のある教会の庭から、こぼれ種で育った苗を頂き、福山教会の庭に植えました。それはみるみる育ち、高さ4メートルほどになり、支柱をつけずにしっかり立つほどに成長して、まさに聖書の通り、雀が枝に宿って休むようになりました。近所の方たちが「これは何ですか?」と尋ねてこられるたびに、聖書の例え話を話すチャンスを頂き、牧師にとっては有りがたい存在でもありました。

 からしの木は、本当は木ではなく、寿命が4〜5年の多年草です。その姿は同種の仲間である菜の花を10倍ほどの大きさに拡大したようなものです。そのような大きな草であるのに種はホコリ一粒分の小さなものであるのは驚きです。そして、夏になるとたくさん咲く花がやがてサヤになり、そこには何と!ある方が数えたら800粒以上の種が入っていたそうです。神さまが下さる小さな出会いや希望が、思わぬ多くの実をつけているのを見る思いがしました。


 2005/5/15 「関西地方連合ソフトボール大会」   (湯川SH)

 4月29日。神様がとても喜んでくれているような快晴の中、関西地方連合青年会主催「第4回ソフトボール大会」が開かれました。当教会からは湯川亮(敬称略)、祥、山岡聖岳、祐亮、古田正平、田辺ファミリー、さらに石山浩一さんが参加してプレーしてきました(あゆみさんと秀作さんは見学)。一番の注目は田辺唯、朋志の兄弟初参加!2人とも4打数2安打(?)の活躍!少し引き気味ながら、大人に混じってはつらつとプレーしていました。特に朋志君は終わってから「特訓したい。」と語るほど気に入ってくれたようです。きっと聖岳が鍛えてくれます。

 今回は小学生の参加が多く、10教会で55人の参加でした。シオンの丘教会は前日に日除けのテントを買ってもってくる熱の入れよう。差し入れをして下さる方もおられ、今まで以上に良い交流の時がもてた気がします。大阪教会に就任したばかりの下川先生も参加して下さり観衆を沸かせていました。

 今回は藤本家、澤田家も参加の予定が都合等が合わなくて無理になったので残念でした。是非、来年は平野の力をもっと関西に見せつけましょう。今回は青年が微妙な活躍だったので…。さあ、皆で来年に向けてトレーニングです!


 2005/5/8 「ウォーキングはじめました」   (中村尚子師)

 入院中から「とにかく歩きなさい」と医師に言われていましたが、やはり病院の中は歩いてもあまり面白くないものです。退院した翌日からウォーキングをはじめ、一応毎日、晴れても雨でも一万歩以上を歩くようにしています。丁度、菜の花や八重桜、つつじ、新緑の時期で、結構天気の良い日が続いたこともあり、珍しく三日坊主にならずにこの3週間ちゃんと続いています。

 平野に来て1年余り。今までたいがい自転車か車で移動していましたから、初めてこうして自分の足で歩いてみると、平野の町の様子がよくわかります。どんな工場やお店があるのか、川がどこからどこへ流れているのかなど…。また、平野区が隣接する八尾や生野、東大阪とどこで接しているのかなど、探検のごとく、興味深々で歩いていくと結構面白いものです。時々、道に迷ってぐるぐる回って、なかなか牧師館まで帰りつけなくなってしまうこともありますが…。

 今は風の心地よい季節ですが、暑くなったらウォーキングもしんどくなるかな、とも思いますが、これを機会に歩くことを趣味にしようと思います。せっかく始めたのですから、歩きながら、神さまの造られた木や花や鳥などの命にうれしくなったり、祈りの課題をひとつひとつと思いおこしては青い空を見上げて祈ったり、そんな朝のひとときを喜んでいきたいと思います。たいてい、朝の8時前から9時ぐらいまで、あちこちを歩いています。神出鬼没ですが、見つけたら是非お声をかけてください。


 2005/5/1 「たんぽぽくらぶ」   (湯川M)

 4月26日、今年度第1回のたんぽぽくらぶでした。昨年からきているMちゃんとSちゃんが元気にきてくれました。来た時は眠そうだったSちゃんでしたが、風船を紙皿で作ったラケット(?)でポーンポーンと打ち始めると目を輝かせて楽しんでくれました。

 まだ小さなMちゃんも、つられてポーンポーン。それから2階でお母さん達と1年分の予定を考えました。

 すると、「ようすけ君はどこ?」と、もうすぐ3歳になるSちゃん。(お母さんの仕事の都合で、彼は一時保育に行ってました)

 まだ数回しか来ていないSちゃん、しかも3月から一ヶ月も経っているのに、しっかり覚えているんですね。

 お母さんも達が一緒におしゃべりしたり、ほっとできる場所をと思って始めたたんぽぽくらぶでしたが、子供達もしっかりお友達として受け止めているのですね。とても嬉しい時間が流れていました。

 5月にはあと2組位のお友達も増えそうで、今年も神様から守られて「たんぽぽくらぶ」の活動が続けられそうです。どうぞ、参加されてる方達そして奉仕者のためにお祈り下さい。