「コリントの信徒への手紙(二)」 講解

= 野中宏樹・元牧師 =


(2003年1月12日〜2003年3月23日 [10回])


1.君も苦難を生きて(1章1〜11節)
2.これが私の生きる道(2章12〜17節)
3.土の器を生きる(4章1〜15節)
4.虚無に喝!(4章16節〜5章10節)
5.和解とは(5章11〜21節)
6.今が一番(6章1〜13節)
7.この悲しく恐ろしい習性を乗り越えて(8章1〜15節)
8.涙が出るほどの祈りに(10章1〜18節)
9.ホコリは払って(12章1〜10節)
10.弱くていい・・(13章1〜13節)


 君も苦難を生きて(1章1〜11節)  2003/1/12  


 今日からパウロの書いたコリント人への第2の手紙をご一緒にお読みしてゆきたいと思います。

 パウロの、この町の教会の人々に対する思い入れは強かったように思います。同時に、パウロにとって悩みの種、裂け目と、欠け目がどうしようもなくあった教会であったということは、2回にもわたって長い手紙を書いたということが証明しています。

 この第2の手紙は実は一つの手紙ではなく、5つほどの手紙が切り張りされて現在の形になったと言われています。それだけ頻繁にパウロがコリントの教会の人々に手紙を書き送っていたと言うことが言えると思います。

 そして何故、そのように沢山の手紙を書かなければならなかったかと言うと、あの第1コリント人への手紙の成果がほとんど見られなかったからです。

 第1の手紙を書いた後に、パウロは一度直接コリントの教会を訪問したようですが、かえって教会とパウロとの間には裂け目が広がってしまったのです。コリントの教会ではパウロ批判が噴出します。単に人間的な批判だけならば良かったのだと思いますが、パウロの宣べ伝えた福音まで「あれは違う」と否定されてしまったのです。

 そこでパウロは自分が信じているキリストについて、そして自分自身のことについてコリントの教会の人たちに涙ながらに手紙を何通も書き送ったのです。それで第2コリント書は「涙の手紙」とも呼ばれています。

 3節から7節までの箇所では、神さまをさんびしています。パウロは、イエス・キリストを宣べ伝えているが故に、様々な苦難を受けています。

 11章23節後半からには、パウロが被った苦難のリストが載せられています。パウロは、自分が受けている苦難の只中で、そこにおいて「慰め」があるのだと言っています。しかも、私の苦難と、あなた方の苦難とが結びついていると語ります(6節)。つまり、キリストの苦しみを共に担おうとする時に、そこに共に分かち合う慰め、神さまからの慰めがあるのだとパウロは語るのです。

 パウロがそう言えるのには8節から語られている経験があったからです。アジア州でパウロたちが受けた苦難について具体的なことは書かれていません、恐らく、投獄され、命をも危ぶまれるような経験だったと思います。パウロにとって死ぬということがそれほど問題であったとは思えません。しかし、生きる望みさえ失ってしまうような経験であったとパウロは言っています。恐らく、「神さまはいないのではないだろうか」と疑ってしまうような信仰が吹き飛んでしまうような気持ちになったのではなかったかと思います。

 「神さまがいるなら、こんなに信じて、従って、働いているのにどうしてだろうか」そう私たちも思う経験をあるときにするでしょう。パウロはそこにおいて「それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。」、このような信仰に至ったと語ります。

 決してパウロは自信に満ち溢れていたわけではなかったのです。自分は神さまから見放されているかも知れない、そんな気持ちにもなるようなひどい迫害と、コリントの教会の事も含めて、様々な困難な問題に直面しながらパウロが至ったところは「自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」という信仰だったのです。その苦難に是非コリントの教会の人々も参与して欲しい、一緒に祈って欲しいとパウロは最後に訴えます。

 これが私の生きる道(2章12〜17節) 2003/1/19 


 今日の箇所は、よく読むと、つながりがおかしい文章であることにお気づきだと思います。12、13節では、自分たちがアジア州で受けた迫害と屈辱を心と体に刻んだ不安のままでマケドニア州にテトスに会うために、出発したとパウロは語っています。しかし、続く14節で突然「神に感謝します」と言い出します。

 何故、マケドニアに出発したら感謝なのでしょうか。

 この箇所は、ずっと先に進んだ7章5節に繋ぐと、その意味が理解できるようになっています。ここを読むと、パウロがコリントの教会に弟子のテトスを派遣していて、その帰りが遅いので、いてもたってもいられなくなってトロアスの町を後にして、よりコリントに近いマケドニア州に出かけたこと、そしてテトスはコリントの教会の人々が、「パウロを慕い、パウロのために嘆き悲しみ、パウロに対して熱心である」という状態にあると報告したこと、そしてその事によって、身も心もボロボロになっていたパウロは大変な慰めと元気とをもらったという事が分かるのです。

 その事を背景にして初めてパウロは、「神に感謝します」という告白に至ったのだと思います。

 パウロは何に感謝しているのかと言うと、まず第一に「わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ」て下さるということに感謝しています。「勝利の行進」は軍隊用語で、戦勝パレードを指している言葉です。パウロはそのパレードになぞらえて、キリストを先頭にした、パレードに自分も加えられているということの喜びをここで語るのです。

 パウロはかつてキリスト者を激しく迫害しました。そして、その容姿は見栄えがしなくて、話は難しくて、しかもてんかんや、目などの病気をいくつか持っていたと言われています。そのことがまたコリントの教会での批判にもつながってゆき、両者の溝を深めていたのです。パウロはそんな自分が、数々の神さまからの憐れみによってキリストを先頭にするパレードに加えられているという喜びをかみしめながらここで「神に感謝します」と語るのです。

 第二にパウロが感謝していることは、「わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。」ということです。パウロは決して肉体的にも恵まれた状態ではありませんでした。あまりに熱心なので誤解も多く生じたでしょう。また、かつては迫害者であったというレッテルも一生ついてまわったものでしょう。しかし、その自分をして神さまは「至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくだる」ことをパウロは喜んでいるのです。

 「キリストを知るという知識」とは何でしょうか。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」とパウロは以前語りました(第1コリント1:18)。キリスト御自身が十字架で全く無力な姿をさらして下さった。キリストを信じ、キリストのパレードに加えられた者たちは、ある人々にとっては愚かなと思える香りを放つのだとパウロは言います。

 人に媚びず、命がけで、誠実に神さまの言葉に生きようとしたパウロだからこそコリントの教会とも摩擦が生じたのです。そうでしかあり得ない、自分をさらけだして語ったのです。そしてそれは、「神の憐れみによって」今そこに有る自分を神さまに感謝するという思いが強く裏打ちされたものでした。それがパウロの生きる道でした。 

 土の器を生きる(4章1〜15節)  2003/1/26  


 今日は7節の言葉を中心におきながら聖書に聞きたいと思います。「 ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。」

 「土の器」の中に計り知れない宝物がある。とパウロはここで述べています。土の器とは粗末な素焼きの日常的に使う食器などを表す言葉です。当時の大きな裕福な家には土の器、木の器の他に、金や銀の器がありました(第2テモテ2:20)。パウロは、日常的に用いられ、時に欠けがあり、すぐに壊れてしまう器に自分を例えています。

 パウロが自分のことを「土の器」だと語ったのは、パウロに対するコリント教会のある指導者たちの批判があったからです。8節からの言葉を拾って行くと、その批判の声が見えてきます。「パウロという男が語っていることがウソだという証拠に、いつも四方から苦しめられて行き詰まって途方に暮れている。また虐げられ、神から見放されているようだ。今にうち倒されて滅ぼされてしまうだろう。」

 1節から6節までの箇所を読んでみると、コリントのある指導者たちは、都合の良いように「神の言葉を曲げて」、心地の良いことしか語らず、この世の価値観に浸り、強くあろうとする。多く得ようとする。社会的に認められるステータスを求める。そうあることが神さまの祝福を得ているということの現れだと語っていたようです。ですから、彼らの語る信仰と、パウロの状況とは全く正反対にあったが故に、パウロの語る福音はうそっぱちだと言われたのでしょう。

 パウロは5節で、「わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。」ときっぱりと反論しています。そのイエス・キリストは「わたしたちの心の内に輝く光」としてあり、それこそが宝物だと言うのです。

 自分の器がボロボロである。欠けの多いものであると言うことはコリントの指導者たちに批判されるまでもなくパウロ自身がよく知っていました。だからパウロは1節で「憐れみを受けた者として」と語るのです。自分に何の条件が整ったから、自分が立派であったから神さまに招かれたのではない。むしろ、ただ憐れみによってそこにあるに過ぎないという事をよく知っていました。かつてはキリスト者の大いなる迫害者であった自分というものがそこには大きく影響しています。

 「にもかかわらず、自分がそこに恵みによってある」。パウロがそう信じるに至ったのは、10節以降でパウロが語っていることに示されています。十字架のイエスさまの死は多くの人々にとってまさに「土の器」のような姿でした。ボロボロで、何も出来ずに「何故私を見捨てたのですか」と死んで行く姿こそ「土の器」なのです。しかし、聖書は「まさにこの人こそ神の子だった」と語るのです(マルコ16:39)。まさにそこに神さまがおられた。そしてそこから復活の命が輝き出ているのです。

 パウロはその事を知ったからこそ、その新しいイエス・キリストにある命に生きようと決心し、そして新しい命に生きていると確信して語り続け、生き続けているのです。だからどんなに困難な状況にあっても決して落胆はしないと述べているのです。

 虚無に喝!(4章16〜5章10節)  2003/2/2  


 生きてゆくのはそれだけで大変だなと思うことがよくあります。その中で虚無に陥り、絶望に塞がれるということがまた多くあると思います。今日のパウロの言葉から虚無と絶望にうち勝つ勇気と想像力、私たちの依って立つ言葉を得ることが出来ると思います。

 パウロは言います。「4:16 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。4:17 わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。4:18 わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」。

 最初の「だから」という言葉は大変強い肯定の意味合いを含んだ言葉です。力強く確信に満ちて「だから」とパウロは語っているのです。パウロは決していつも確信に満ち溢れてこう語り抜いていたのではありませんでした。1章8節を見ると、パウロ自身が絶望し、生きる望みさえ無くし、虚無に襲われたこともあると告白しているのです。目に見える部分で全く望みを見いだすことが出来ないまでにパウロは絶望と孤独を味わったのでしょう。しかし、だからこそ、今日の言葉は私たちにとって慰めと励ましとに満ちたものとなるのでしょう。

 パウロの批判者たちはパウロの「外なる人」を見て、彼は神から見放されているとまで言いました。12章9節ではそれをパウロ自身が「弱さ」だと言っています。その弱いぼろぼろの自分があって日々死に向かって衰えてゆくけれども、「内なる人」は日々新たにされてゆくのだと希望を語っています。内なる人は目には見えません。パウロは最早目に見えるものによって虚無に晒されることはないと語っているのです。

 5章1節からの言葉もまた「土の器」を「地上の住処である幕屋」と言い換え、そして絶えず労苦が伴うと語ります。

 旧約聖書の時代から人々は「何故人間は限界のある朽ちる肉体を、しかも多くの労苦を伴って生きてゆかなければならないのか」と考えて神さまに問うてきました。コリントの教会のある人々はそのように苦難にあいながら生きるということに意味を見いだせませんでした。死ぬことによって地上の姿、幕屋から肉体の呪縛から解き放たれると考えたからです。そのような価値観の中からは虚無と無関心しか生まれません。

 しかし、パウロにとってこの地上での苦難には大きな意味がありました。それは4章の18節でも語られているとおりで、パウロにとって今を生きる、苦難を背負って生きるということは十字架の主イエスの苦しみに繋がれるということを意味していました。その主イエスの命に与って生きるからこそ、そこで落胆せず、日々新たに、そして6・7節で語るように、例え目に見える身体はボロボロでも「心強く」あることが出来たのです。

 和解とは(5章11〜21節)  2003/2/9  


 パウロという人の人生を思うときに、大変強く激しいものを感じます。彼にとって福音をのべ伝えれば伝えるほど、迫害や障害が大きくなりました。

 コリントの教会に対しても、彼の語る福音はなかなか理解されませんでした。それでもパウロはこのように心血を注いで語り続けています。一体何が彼をそんなに駆り立てて対のでしょうか。「なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです」とパウロは述べています(14節)。そうしないではいられない、しないわけにはいかないキリストの愛が彼をそうさせるのだと言うのです。私たちにはキリストを知ったが故にそうせざるを得ないという生き方があるのだと思うのです。

 「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」と今日の聖書の箇所でパウロは言います。キリストと結ばれるものは新しいのです。新しい生き方、新しい歩み、新しい価値観に生きることを新しい命に生きるというのでしょう。

 パウロはかつて、徹底的にユダヤ教に生きようとした、つまり、律法を守り、完璧であろうと生きていたのです。しかし、そのパウロは彼が迫害してきたイエス・キリストと出会い、その人生観、価値観が全く変わった、180度変わりました。「一人の方がすべての人のために死んでくださった」、イエス・キリストが十字架において、全ての人のために死んだということを知ってパウロはそれまでの自分がその十字架において一緒に死んだということに気付いたのです。そしてそのイエス・キリストに結ばれて新しい命に生きるということを選び取ったのです。

  さて、パウロは新しく生きる者たちの生き方について「和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。」と指し示しています(18節)。この「和解」という言葉が今日の一つのキーワードだと思いますが、大切なのは、18節の前の部分で、こう書かれています「これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ」。神さまが私たちと神さまとの間に主イエス・キリストを和解の務めを果たすために立てて下さったという事です。

 パウロはローマ人への手紙6章23節で「罪の支払う報酬は死である」と述べていますが、神さまの創造の期待に添えない私たちは滅ぼされて然るべきですが、その私たちに、十字架のイエスさまが命をかけて、死をかけて示して下さったことが、神さまから語られた和解の知らせでした。これをパウロは別の言い方で「恵み」と言うのです。

 また、この和解という言葉はギリシャ語で「交換する」という意味を持っています。この交換は大変釣り合いのとれないものです。何故ならば、イエスさまは十字架において自分の命と引き替えに私たちに命を与えて下さったのです。私たちがイエスさまに交換として負ってもらったのは、「罪」と「死」というものだからです。だから、パウロはこのキリストの愛が駆り立てる「新しい命に生きないわけにはゆかない」と語るのです。

 今が一番(6章1〜13節)  2003/2/23  


 新約聖書には時を表す言葉が二つあります。一つは「クロノス」そしてもう一つは「カイロス」という言葉です。

 「クロノス」は、いわゆる過ぎゆく時間を指しています。「カイロス」という言葉は、同じ時間でも、歴史の中のある一点を指していう言葉です。今日のパウロの言葉「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(2節)にはこのカイロスという言葉が用いられています。過ぎゆく時間を「恵みの時」「救いの時」としてではなく、一日一日、そして一瞬一瞬の時をそう呼んでいるのです。

 この手紙の読者であるコリントの教会の人々はパウロを見て躓いていました。何故ならばパウロはキリストの福音を宣べ伝えていながらひどい状態であったからです。4〜5節にあるように、「苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓」が常にパウロを取り巻いていたからです。「神さまがパウロと共にいるならば、こんなに熱心に神さまの事を宣べ伝えているのに、何故こんなに苦悩しなければならないのだろうか、そんなにまでして生きていて嬉しいの?」という疑問が多分コリントの教会の人々の中にはあったのと思います。

 しかし、パウロはその中で「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」と語ります。「今や、今こそ」と訳されている言葉は「見なさい!」とか「ほらっ」と強く注意を促す言葉です。パウロはそんな苦難の中で「今の時が一番いいときだ」と言っているのです。かつて迫害者であり、律法を守ることで救いを得ようとしていたパウロが、ただ恵みによって、認められ、生かされているという事を知ったからです。

 ただパウロも言うようにそこに忍耐が伴います。「大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によってそうしています。左右の手に義の武器を持ち、」(4〜7節)。今を忍耐しながら、腐ることなく、憎しみや怒りに身を委ねることなく、「純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によって」生きるというのです。

 さて、パウロは続けてこう語っています。「栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」(8〜10節)。

 死にかかっているようだけれど、どっこい生きている。この言葉は決してやせ我慢で言っているのではありません。パウロは、イエス・キリストにあって、心からそう告白しているのです。土の器にしか過ぎない自分が恵みによって今ある事を知っていたからです。イエス・キリストにあって「今が一番!」とその時その時何度も告白し続けるそこに私たちも立ちたいと願います。 

 この悲しく恐ろしい習性を乗り越えて(8章1〜15節)  2003/3/2  


 今日の聖書の箇所でパウロは献金の話をしています。コリント人々に勧めている献金は、
8章4節にあるように「聖なる者たちを助けるための慈善の」ための献金です。第一コリント16章1〜4節を見ると、エルサレムの教会のためであったと分かります。エルサレムの教会ではキリスト者になった人々が生活の基盤を失ってしまっていました。パウロは自分の伝道している異邦人の教会に「エルサレム教会の人々の生活を支えよう」と献金を呼びかけていたのです。

 今日の聖書の箇所では、コリントの教会に直接献金を呼びかける前にマケドニアの諸教会の事を紹介しています。

 マケドニアには、フィリピ、テサロニケ、ペレアなどの教会がありましたが、この地方にある教会も、決して裕福な地域ではありませんでした。そして7章5節でパウロが言うようにキリスト者を迫害する戦いがありました。にも関わらず、これらの教会の人々はエルサレム教会への献金の呼びかけに熱心に応じてくれたのです(8章2〜4節)。しかも強制されてではなく、それが自発のこととして起こってきたというのです。

 これは私の推測ですが、パウロ自身が献金の持つ意味と姿勢を、マケドニアの諸教会から教えられた。持つ者、豊かな者が、有り余っているから施すのではなく、ないからこそ分かち合う、また献金するという行為は、主イエスに従い、その身を献げるという事なのだということを改めて知らされたのではないでしょうか。

 パウロがマケドニアの教会のことをまず語ったのは、コリントの教会に集う人々の中に「分かち合う」という思いが希薄だったからではないかと思います。

 確かに7節で語られているようにコリントの教会の人々は「信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊か」ではありました。しかし、献金についてもそうあって欲しいという祈りがパウロの中にありました。他者への思い、配慮、分かち合うことの意味をもう一度、エルサレム教会への献金を通じて考えてみて欲しいとパウロは語るのです。そこに悲しい、そして恐ろしい人間の本質的なものを乗り越えて行く糸口があるからです。

 パウロはその根元的なモデルを主イエス・キリストに見いだしています(9節)。キリストが自分を低くし、貧しくなられたが故に、私たちが豊かにされた、つまり、新しい命に生きる事を赦されたのです。その命に生きるが故に、身を献げるが故に、分かち合う生き方を選び取るのです。もちろんこのことを強制で言っているのではない、また、それぞれが出来るだけに応じて、身の丈でというと言うことはここで語られているとおりですが、その事は「それがあなたがたの益になる」(10節)と言います。

 献金は決して一方的なものではなく、「あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。」というように相互的なものなのです。

 イエスさまが5000人以上の人々を前にしてわずかなパンと魚を分かち合った時に全ての人が食べて満腹したように、分かち合う事において、それぞれが豊かにされるという事を知るべきなのです。分かち合いに生きることこそ、そこに恵みを見いだすことにこそ、教会の存在意味を見いだすのだと思います。

 涙が出るほどの祈りに(10章1〜18節)  2003/3/9  


 今日お読みする10章〜13章は「涙の手紙」と呼ばれる部分で、2章4節ですでに言われていたものです。「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました」。つまり、すでに一回手紙が以前に書かれていることを指した言葉ですが、この1〜2章の部分よりも先に、10〜13章が書かれていたことを表すものです。

 いささか面倒なのですが、最初にパウロがコリントの町で教会の土台を築きました。そしてパウロが離れた後にコリントの教会で様々な問題が起こり、そこで、手紙を書き送った、それが第一コリント書です。

 一番の問題は一言で言ってしまえば、他者性、隣人性の欠如、生き方の問題でした。しかし、残念ながら、この手紙ではコリントの教会の問題は解決されませんでした。それどころか、ますます事態は悪化して、パウロに対する非難の声、そしてパウロの語る「福音」に対する非難の声がまき起こってきたのです。そこでパウロはコリントへ直接訪問する事にしましたが、そのことで問題の解決には至りませんでした。ますます非難の声は高まり、火に油を注ぐ結果となりました。そして肝心の、根本的な問題は解決していなかったのです。そこで、パウロは涙ながらの手紙を書くに至ったのです。

 ですから今日の箇所をお読みいただいてお気づきかと思いますが、かなり感情的に高ぶったような文章です。パウロはコリントの教会の批判に真っ向から受けて立とうとしたのです。2節の言葉がそのことをよく言い表しています。

 今日の箇所で一つのキーワードはこの2節にも出てくる「肉」という言葉だと思います。つまり、外見、その人そのものではなく、その人に付随しているものと言ったらよいでしょうか、そのようなものを「肉」と表現するのだとおもいます。

 では、パウロは「肉」によればどのような点で非難されていたのでしょうか。手紙では強硬な言葉を語るけれども、会うと弱々しくて卑屈な男だ。外見はあまり風采のあがらなかい人だ。「話がつまらない」。教育を受けていない、知識人ではない。募金を集めてだまし取って、私服を肥やしている(第2コリント12:16)などなどです。このような誹謗中傷はすべてパウロの外見的な部分、「肉」に関するものでした。

 パウロはきっぱりと自分は「肉」、外見的なもので勝負するのはないと語っています(3〜5節)。何故ならば、パウロは、先週もお読みしたとおりに主イエスは何も持たないものとして、力も、富も、名誉も、そして命さえも失う者として十字架に架かられた、そのところに依って立っているからです。

 今日の箇所では、後半7節からのキーワードは「誇り」という言葉だと思います。人と自分を比較して、自分は人よりも勝っていると自慢したり、人を自分よりも劣っていると蔑んだり、また、自分は何も持っていないとうらやんだり、ということが教会の中の価値観として「誇り」として支配していた。「大変愚かなことだ」と、だんだんパウロの感情が高まってゆくのを感じます。

 「誇る者は主を誇れ」(17節)とパウロは言います。そこにはパウロのコリントの教会の影に見えなくされている人々への思いと、涙が出るような祈りとがあるのです。

 ホコリは払って(12章1〜10節)  2003/3/16  


 「誇」という字から私が想像することは、誇るということは、自分が大きく描いた世界の上に大の字になって足を広げ、「どんなもんだ」と立っている様です。まさに、自分が神か、超人であるかのように思って語ることを「誇る」というのだなと感じます。

 コリントの教会にもそのような「誇り」をもつ人々がいました。

 今日の聖書の箇所の前半で、パウロが奇妙な経験について語っています(1〜4節)。恐らくパウロは普通の人が経験できないような霊的な経験をしたのです。当時、そのような事を経験できた人は大変賞賛され、また、その事をして「私は普通の人とは違う霊験あらたかな人だ」と自慢し、「誇る」事ができたのだと思います。まさに、コリントの教会にはその様な霊的な経験をもって、自分は他の下々の人とは違うという価値観をもち、優越感に浸り、そのことを誇っている人々がいたのでしょう。まさに自分が神にでもなったかのように語っていたのです。

 パウロがコリントの教会の人々に対して「誇り」ということをテーマに語ったのは、先週もふれたように、コリントの教会の、ある「誇り高き」人々は、連帯しようとしなかった、隣の人が、今死にかけていても、「私は知らない」というような生き方をしていたからです。人と人とをつながないような、連帯させないような「誇り」など一切要らない。「そんなものは打ち払ってしまえ!」という思いをしたためたのだと思います。だからこそ、「誇る者は主を誇れ。」(10章17節)と言っているのです。

 しかし、私は、この「誇る」という言葉から、また別の有様を思い描きます。それは、この世の常識や、価値観という、大きな動かしがたい世界が例え広がっていたとしても、そこに堂々と、足を広げて、自分の言葉を語り、堂々と生きてゆく、それもまた「誇り高い生き方」と呼ぶのではないでしょうか。そこに今日のテキストの後半のパウロの思いを重ねてみたいと思います。

 パウロは「弱さ」を誇るとパウロは語ります(5節)。私たちの常識ではこれはおかしな事です。「弱さ」とは悲しんだり、恥じたりしても、決して誇るべきものではないでしょう? そこには7節以降に書かれている、パウロ自身のもう一つの経験があるのです。

 パウロには、思い上がる事のないように、「とげ」が与えられていました。この「とげ」については、病気や、その他様々に言われていますが、いずれにしても、パウロはこのことについて大変思い悩んだのです。パウロは「これさえなかったら、もっと神さまのために仕事が出来るのに」と幾度となく、祈り続けたのです。しかし、その中で神さまから与えられた答えはこうでした。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」。

 あなたが弱いと感じている、そこにおいて、またあなたが弱いと言われ、見られている、まさに、そこにおいて、私の力は最も大きく働くのだよと主イエス・キリストがパウロに語ったというのです。「敢えて弱さに留りなさい」と。

 パウロが敢えて弱さを誇ると語ったのは、そこにしか見えてこない喜び、嬉しさ、希望があると確信したからです。コリントの教会の人々のホコリをはたきで払いながら高らかに宣言したのです。私たちは今日、どこに共に立つでしょうか。

10 弱くていい・・(13章1〜13節)  2003/3/23  


 今日の箇所は、第2コリント書の結びの言葉です。パウロは、2章4節でこの手紙を書いた心情を述べています。

 何がパウロを悲しませたのでしょうか。何がパウロを憂いに満ちた心にしたのでしょうか。それはコリントの教会のある人々が「謙虚さを知らない」「限界を知らない」という事に対してでした。

 彼らに対してパウロは悔い改めて欲しかったのです。もっと謙虚に、限界を知る人となって欲しかったのです。自らの限界を知らず、勝ち誇る人は自らが神のように思い、神に成り代わってしまうからです。

 そこでパウロは自らが依って立つところは「弱さ」だと語ります(3節)。

 キリストは神の子でありながら、十字架に無力にその死に様をさらしました。それは、強い神、奇跡を行う神を、強い信仰を望む人々にとっては全く信じがたい事でした。強い神ならば奇跡を行い、むざむざと殺されるなどと言うことがあるはずがないからです。

 しかし、パウロはその最も悲惨な弱さのただ中に、神はおられると言うのです。そしてこうも語ります。「わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者です」。

 私たちは、キリストに結ばれた者として、弱くて良いのです。無力でよいのです。小さくて良いのです。そこに神さまはおられるのです。

 パウロは「信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。」と続けています。問題は、信仰をもって生きているかどうかということです。信仰をもって「弱さ」を生きるという事だと思います。

 さて、「弱さ」とは何でしょうか。私は「一人裸になって立つ」と言うことだと思います。神さまの前では私たちは、他の何ものでもない一人の人です。

 肩書きや、能力、財産や経歴、評価、その他一切のものを脱ぎ捨てたときに私たちは弱い存在かもしれません。その弱さをさらけ出すときに、初めて、その自分の存在を根っこの所で支えておられる方がいると知ることはどんなものにも勝る強さを得るということだと思います。

 パウロが「弱い、けれども強い」と語るのはそのような事だと思います。そして、そこに立っているかどうか、それぞれ吟味するべきだと述べているのです。

 さて、今日の聖書の最後の部分でパウロの祈りのような言葉が綴られています(10〜13節)。人は確かに一人です。一人一人は小さくて弱いかも知れません。限界づけられた存在です。しかし、その一人一人を支えておられる神さまは確かに生きておられると私は信じています。同時にその一人一人が、だからこそ「一緒に」生きるのではないでしょうか。

 パウロは5つの生き方を、大切な事としてコリントの教会の人々に贈ります。

 「終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。」(11節)。