平野夜回りの会
 




= お知らせとご報告 =

★ 「平野夜回りの会」の活動は、2009年3月29日の夜回りで500回目を迎えました。あらためて多くの方々のご協力・ご奉仕に感謝いたします。

★ 2012年1月より、平野夜回りの会の活動日を第2・4日曜日夜に変更いたしました。



<平野夜回りの会>について


 「平野夜回りの会」は、平野バプテスト教会に集う人々を中心に作られたホームレス支援組織です。

●歴 史
 1995年の阪神淡路大震災後、神戸の夜回りに参加していたメンバーの中から、「平野教会のまわりにも野宿者が増えた。神戸での夜回りだけでなく、自分たちの教会のまわりに住む野宿者にも夜回りをすべきではないか」との声が出はじめ、1999年1月1日、近所の公園に住む野宿者にお正月の雑煮を持っていったのが始まりである。

●活 動
 第2・4日曜日の午後7時30分平野バプテスト教会に集合し、そこからスタート。(地図) 

 @近隣の公園を自転車でまわるコース
 A離れた場所を車でまわるコース

 の2コースをまわる。

 準備・夜回りは平野教会の教会員が中心になって行っている。おにぎり・味噌汁の配布、野宿者の健康状態・安否の確認、その他必要なもの(毛布・ろうそく・カイロなど)を渡す。

 2004年から西成区で野宿者が生活保護にかかる手伝いをしている団体の方が参加してくださるようになり、平野から入院や居宅保護にかけられる野宿者の数が増えました。



 ありがとうございます
★2010年1月24日(日)に行われた「一致祈祷集会」(@カトリック平野教会)での席上献金、および当日朝のカトリック平野教会ミサでの献金あわせて33,718円が、平野夜回りの会の活動のために全額ささげられました。感謝してご報告いたします。
★2009年12月、中村克也兄(佐賀県唐津市在住、故・村上師のご友人)よりカンパを、松田高夫牧師(大阪キリスチャペル)よりお米券を頂きました。感謝してご報告いたします。
★2009年1月25日(日)に行われた「一致祈祷集会」(@平野バプテスト教会)での席上献金41,135円が、平野夜回りの会の活動のために全額ささげられました。感謝してご報告いたします。
★匿名女性の方より、長期間にわたり、毎月2回夜回り用のお米をご提供いただいております。感謝してご報告いたします。
★2008年1月20日(日)に行われた「一致祈祷集会」(@カトリック平野教会)での席上献金27,043円が、平野夜回りの会の活動のために全額ささげられました。感謝してご報告いたします。
★2007年12月24日(月)−クリスマス・イヴ−、M兄姉、および日本バプテスト連盟堺キリスト教会より、食料を中心に大量の献品およびカンパをいただきました。感謝してご報告いたします。
★2007年1月21日(日)に行われた「一致祈祷集会」(@平野バプテスト教会)での席上献金34,128円が、平野夜回りの会の活動のために全額ささげられました。感謝してご報告いたします。
★2006年10月、日本バプテスト連盟堺キリスト教会のM兄姉より、平野夜回りの会にカンパを頂きました。感謝してご報告いたします。
★2006年度「日本バプテスト連盟関西地方連合・1.17震災を覚える集会」の際の献金20,030円全額を、平野夜回りの会の活動のために寄せて頂きました。感謝してご報告いたします。
★2006年1月23日(日)に行われた「一致祈祷集会」(@カトリック平野教会)での席上献金16,391円が、平野夜回りの会の活動のために全額ささげられました。感謝してご報告いたします。

 平野夜回りの会報告11 (2011.4.24 by R.Y.)
 2010年度に初めて出会った野宿者数−4名
 2010年度に初めて夜回りに参加者数−1名

 2010年度は前年度にパンを提供してくださっていたメロディさんの一時閉店に伴い、以前と同様のおにぎりとみそ汁を持って回る活動に戻りました。

 大和川近辺の一部が工事に伴って閉鎖されることになり、そこに住んでいた野宿者は別の場所に移ることになり、所在がわかっている野宿者数は若干減少しました。そのため夜回りのコースは3つから2つになりました。

 ずっと関わっていた一人の野宿者が2010年度に生活保護を受けることになって野宿を脱出できたことは感謝です。一方で、出会って数週間しか経っていなかった一人の野宿者が亡くなられました。現在夜回りは2週間に一度のペースで行っており、亡くなられた方に対して十分な関わりができていなかったのではないかと、メンバーそれぞれが心を痛めています。

 また、2010年度には綱島兄が初めて夜回りに参加して下さいました。綱島兄の思いや感想を聞かせていただき、メンバーそれぞれが想いを新たにすることができました。感謝です。

 2010年度も平野教会からや教会員のみなさんから、またカトリック平野教会からや一致祈祷集会の席上献金などで支援を頂き感謝します。メンバーもそれぞれ多忙になってきましたが、継続した夜回り活動が行えるようにしていきたいと思っています。
 平野夜回りの会報告10 (2010.4.25 by R.Y.)
 2009年度初めて会った野宿者数−6名

 2009年度は平野区にあるパン屋「メロディ」さんから売れ残ったパンの提供を受けたため、野宿している方々にはとても喜んでもらえ、サービスを提供するという点においては今までよりも良い形となったと思います。

 しかし、2009年度は野宿から脱出する支援というものは行えませんでした。また、ここ数年ずっと、毎回平均して13名の方と出会っていたのですが2009年度を終えてその平均数は12名に減りました。これは毎回出会っている野宿者の数が減っているからなのですが、それは野宿から脱出したのではなく夜回りの時間にその場におられないためです。

 毎回夜回りで出会っていたある方から、「もう回ってこなくていい」と言われました。その方は生活に困っていない自分たちより、もっと苦しんでいる方の所を訪問するようにという意図からそうおっしゃっていたのですが、僕たちが野宿者の求めるものを十分に提供できていないということにもなると思います。再度夜回りの形や目的を考えていく必要がある時期に来ているのかもしれません。

 2010年度からはメロディさんの閉店に伴いパンの提供を受けられなくなります。再び野宿されている方々が求めているものを提供できるようにしていきたいと思います。
 平野夜回りの会報告9 (2009.4.26 by R.Y.)
 2008年度新たに出会った野宿者−9名

 2008年度に入ってから、平野夜回りの会は今までの毎週日曜夜7時半からという形から、毎月第1、3、5日曜日の夜7時半からという、実質隔週開催へと変更しました。それにより、参加者の負担は軽減したように思われます。野宿者への支援が十分にできないという懸念もありましたが、一年間を振り返って、大きな問題はなかったと思われます。

 2008年度は初めて夜回りに参加するという人が一人もいませんでした。夜回り活動に一度でも参加することで野宿者への理解を深めることができると思っていますので、今後もっと参加者の呼びかけを行っていきたいと思っています。

 隔週にすることで夜回りを行わない週には勉強会や昼回りを実施すると当初考えていましたが、実施に移すことはできませんでした。主要メンバーが多忙により疲労しているということを思い知らされました。

 中村牧師、S兄には夜回りのない日にも野宿者が訪ねて来たり、役所や他団体と連携をとっていただくなど、多くの働きをしていただきました。中村牧師は2008年度も要請を受け、地域の小学校へ野宿者支援についての講演を行いに行っていただきました。

 支援としては平野教会の兄弟姉妹、平野カトリック教会から多くの献金、献品をいただきました。感謝の思いでいっぱいです。2009年度は会計を明確にして、総会資料で報告をしていく必要があると思います。また、長年牧師室や教会の倉庫を占領している支援物資についても、整理をしていく必要があります。

 最後に、夜回りの会は2009年3月29日の夜回りで合計500回となりました。今後も多くの方のご支援・ご協力をいただきながら続けていくことができればと思います。多くの課題を抱えていますが、夜回りの会、野宿されているお一人お一人をお祈りに覚えてください。
 平野夜回りの会報告8 (2008.4.27 by R.Y.)
 2007年度初めて出会った野宿者数   ― 22名
 2007年度初めて夜回りに参加した人数 ― 2名
 
 2007年度もいろんなことがありました。野宿者の状況としては、僕たちが関わった野宿者で居宅保護もしくはそれを前提とした入院に至った人は5名でした。それにともない、平野北公園には定住している野宿者がいなくなりました。行政から強制ではありませんが退去のすすめがあり、その代わりに生活保護を用意されたことによるものです。また、2007年度は夜回りでは出会っていない野宿者が教会を訪ねてこられ、中村牧師や柴田兄が入院や食事支援に動いてくださりました。そういったこともあり、毎回の夜回りで出会う野宿者の人数はやや減少傾向にあります。

 参加者の状況としては、いっしょに夜回りに参加してくださっていた堺教会のご夫婦が「独立」され、現在は天王寺を中心に支援活動をされています。一方で、ホームページを見て夜回りに参加されている方も現在一名おられます。

 また、中村牧師が夜回りの会の代表として、平野区の小学校で野宿者の話をしてくださりました。

 全体として、出会う野宿者の数は減りましたが、参加する人数も減ったため、週によっては1名や2名で夜回りを行うことも多くなり、一部の人への負担が増大してしまっている状況です。

 2008年度は、今まで9年間続けてきた毎週の夜回りという形態を、第1、第3、第5日曜のみの夜回りという形態に変えようと思います。参加者数が減ったことによる負担の軽減も目的のひとつですが、夜回り開始当初と比べ、毎週必ず会わないと危ないと思われる方が現在おられないため、毎週の夜回りでなくても大丈夫ではないかという状況も理由のひとつです。また、夜回りのない週には昼回りをしたり、ミーティングや勉強会を行うという今まではできていなかった活動も行ってみようと思っています。

 2007年度もおにぎり作りやカンパという形でお支えいただいた教会員のみなさんや支援者のみなさんに、心より感謝いたします。2008年度もご支援とお祈り、よろしくお願いします。
 平野夜回りの会報告7 (2007.4.29 by R.Y.)
 2006年度は新たに18名の野宿者と出会いました。夜回りを行っている時間帯は、野宿者が空き缶や廃品を集めに回っている時間であるため、毎週全ての方と会えるわけではないのですが、夜回りの会として把握している定住野宿者数は再び20名を越えました。

 しかし、2006年度は夜回りに新たに堺教会から2名の方が毎週参加してくださるようになりました。また、ホームページを見て来たという方も2名、3度ほど参加してくださっています。そのため夜回りに回る人数も6名を超えることが多くなり、現在は3つのコースに分けて夜回りを行っています。そのためかかる時間が短くなり、夜回り後のミーティングが40〜50分かかっても、22時前に解散できるようになり、参加者の負担も減らすことができるようになりました。

 また、一致祈祷集会での献金や参加者、平野教会員からのカンパも多くいただき、平野夜回りの会発足以来最も財政が潤っている状態になっています。そのため、水筒を一つ購入し、クリスマスには定住する小屋を持っておられない野宿者2名に寝袋を渡すこともできました。さらに、夜回りの会として使っていける文献や資料を購入することも現在検討中です。

 夜回りも9年目を迎え、回数も2007年3月25日現在で421回となりました。2006年度には6名の方が初めて夜回りに参加してくださり、多くの方に夜回りを経験していただくことができました。居宅保護にかけることもできるようになり、野宿から脱出するお手伝いも少しずつ形にできるようになってきました。しかし、未だ野宿者数は減らず、居宅保護後のフォローや病気の野宿者への支援など、課題は多くあります。これからも活動のためにお祈りください。

 最後になりましたが、毎週のおにぎり作りやカンパなどで夜回りの会を支えてくださっている教会員お一人お一人に感謝いたします。
 平野夜回りの会報告6 (2006.4.23 by R.Y.)
 2005年度 新しく出会った野宿者数 16名
       初めて夜回りに参加した人数 18名
       新たに2名が居宅保護へ、2名が居宅保護のために入院。
          (内1名は夜回りの会で役所へ申請)
 2006年3月26日時点で369回の夜回り。199名の野宿者と出会い、86名が夜回りに参加。

 2005年度は大きな変化の年でした。関係を築いていたK医療連が、医療連側の諸問題により夜回りに不参加となり、福祉申請が険しくなったかと思われるスタートでしたが、医療連から教えていただいた方法で1名の申請に関わることができました。

 出会う野宿者の数は夏ごろには1桁まで下がっていたのですが、新たに野宿をしておられる方々がおられる場所をみつけ、15〜16名と毎週出会っています。

 さらに、教会の近隣にある平野小、平野北中の先生ならびにPTAの計16名の方々が夜回りに参加してくださいました。PTAが参加したというのは、子どもたちの野宿者への襲撃が増えている昨今、とても大きなことだと思います。これからもこのつながりが続けばと思います。また、平野で配布されている教育関係の広報に計2回夜回りの会の活動のことが掲載されました。私たちの活動と思いがきちんと記載されており、とてもよかったです。夜回りの会が近隣の学校へ送った文書も教師同士の集まりなどで取り上げられるなど、6年間行ってきた活動が少し芽を出してきたのかと思います。

 2006年度はこれらのことを継続していけるようにしたいと思います。カンパ、祈り、おにぎり等の準備などさまざまな形で夜回りに参加してくださっている全ての方に感謝したいと思います。 
 平野夜回りの会報告5 (2005.4.24 by R.Y.)
 2004年度で、夜回りは計300回を越えました。出会った野宿者の数は計183人。参加した人の数は計68人。1回の夜回りで平均13人の野宿者と出会い、平均5人が参加しています。ですが、2004年度後半に入ってからは、出会う野宿者の数が減ってきました。理由として一番大きいのは、野宿から生活保護への道筋を確保することが出来、釜ヶ崎にある医療連という野宿者の生活保護申請を手伝っている団体の協力のもと、2004年度だけで6人の野宿者を病院に入院させることができ、4人の野宿者を居宅保護申請をしてアパートに入居する手続きができました。また、参加する人数が増えたこともあり、パトロールを目的としてコースを設定して、初めて平野区全体を回って野宿者の調査をすることができました。夏にはまた増えてくるとは思われますが、出会う人数が減ってきていることで、新たなコースを作ることも考えているところです。

 また、2004年度は夜回りの会メンバーで毎週のミーティングとは別で話し合いの時を持つことができ、それぞれが思っていること、現状の問題点、これから目指していくところを話し合うことができました。結論として、

◎ 野宿者に手渡しする連絡表を作り、連絡を丁寧にしていく。
◎ 野宿を出てアパートや病院に入った人の安否確認をしていく。
◎ 情報を交換するということを丁寧にしていく。

という3点を確認できました。

 2005年度は生活保護申請という手段を活かしながら、野宿者のためになる支援を考えていきたいと思っています。また、今年度こそは報告書を作成したいです。
 平野夜回りの会報告4 (2003.12.28 by R.Y.)
 今年もクリスマスがやってきます。この時期になると、最近いつも思い出す言葉があります。前牧師の野中先生が2年前のクリスマスの後、「僕たちがクリスマスをお祝いしているすぐ外で野宿している人たちがいる。それを考えると、クリスマスを心から喜べない」ということをおっしゃっていました。野中先生もクリスマスはうれしいけれど、野宿している人たちのことを考えると、悩んでしまうということでした。

 現在夜回りの会は1回で16〜20名の野宿者と出会います。平野公園、平野北公園、大和川河川敷が主なコースとなっています。ここ数回、出会う野宿者がまた増えてきました。中には女性もいます。夏からシオンの丘教会の坂田先生が毎週夜回りに参加してくださり、1回で夜回り参加者は多くて6名に。また、神戸教会、神戸新生伝道所、大津教会、浜甲子園教会、また平野教会のみなさんなどから支援物資やカンパをいただき、助けられています。

 今年もクリスマスに、おにぎりやみそ汁以外にクリスマスプレゼントを渡そうと思っています。冒頭の言葉を思うたびに、僕たちの活動はなんのためにあるのか悩みます。僕たちの活動が、そういう矛盾を解消できる活動になるとは思っていません。ただ、2年前にあるおじさんにクリスマスプレゼントを渡した時、「私にもクリスマスが来たよ」と喜んでくださいました。なにもできない僕たちが、その時だけは、少しは「何か」ができた気になりました。

 今年のクリスマスを終えると、夜回りの会は6年目を迎えます。新しい体制になってできたこと、できなかったこと。入院や施設入所をした方々へのフォローなど、課題がたくさん見えてきたこの1年でしたが、来年はその課題を考え、より野宿者に「何か」できる活動となっていきたいと思います。

 今年のクリスマスも祈ります。「全ての人にクリスマスが訪れますように。」
平野夜回りの会報告3 (2003.6.1 by S.Y.)
 会った人数。平野公園3人、平野図書館前バス停1人、平野北公園5人、流町公園3人、常盤会短大前マンション1人、常盤会前マンション墓地1人。 計14人

 今日も色々考えさせられました。バス停で会った初めて会ったおじさん(37歳)は、自分の学歴に劣等感があるのか、僕が大学生ということを知ると、「大学生様!!」と呼んでいました。その大学生様は流町公園で会ったいつものおじさんに「結局野宿者は仕事が嫌いでこんなんになってるんやで。俺もそうやで。」と、言われてその人の為に何もたいしたことを言えず…。そして、最後にはマンションで会ったおじさんは政治のことに関してR兄と熱弁。自分は話に入らず。だって分かってないことが多いから…。

 大学生様と言われながら、僕自身は何もして上げられないし野中先生のようにその人をホッとさせられる事を言ってあげることなんてできません。それは、やっぱり普段考えてないから、そして知らないこと、分かってないことが多いから。残り少ない学生生活の中で自分はどこまで成長できるのか?それは、自分の努力しだい。自分の未熟さを教えられる1日でした…。
平野夜回りの会報告2 (2003.5.25 by R.Y.)

「出会えなかったおじさんと、出会ってしまったおじさん」
 今まで夜回りを4年間してきて、90名以上の野宿している人たちと出会ってきました。

 その中には一度しか会っていない人もたくさんいます。また会いたいな、元気にしているんだろうか、と思っても、僕の多くの友人たちと違い電話も持っていませんし、どこに住んでいるのか知らない人たちばかりです。今どうしているんだろう、と思いをめぐらせる人たちはたくさんいます。出会いたくても、探したくても、それでも出会えないもどかしさを感じます。

 先月末以来出会っていないおじさんがいます。Nさんはいつも僕たちの回ってくるのを楽しみにしてくれていました。気のやさしそうな人で、キャンドルライトサーヴィスにも参加しようと、教会まで足を運んでくれたこともありました。あいにくその日は僕は仕事の日で、礼拝の始まるぎりぎりの時間にしか教会にたどり着けず、Nさんは夜回りのメンバーが誰も教会の中にいなかったので帰ってしまいました。4日は夜から中村先生と会うという日だったので、Nさんには9時にいつも会う場所に来てくれと、その前の週の夜回りでお願いしていました。Nさんはいつも日曜には、僕たちと会うために家から長吉のダイエーまで来てくれるのです。ところがダイエーに行く前に別の場所に回ってしまったため、ダイエーに着いたのは約束の時間に大幅に遅れてからでした。Nさんは待ちくたびれて帰ってしまったと、いつも一緒に待ってくれているOさんが言いました。それ以来、毎週ダイエーに行っても、Nさんはそこにいません。あのとき約束をしていたNさんの方から先に回っていればと、悔やんでも悔やみきれません。怒ってしまったのか、僕たちが信頼を失ってしまったのか。それならまだマシですが、Nさんの身に何かあったんじゃないか、と思うとますます自分の行動を責めてしまいます。

 ところが4日の夜回りでは、出会いたくない人にも出会ってしまいました。入院していたはずのKさんです。KさんはS牧師が救急車を呼んで入院し、そこから福祉にかかってどこかの施設に入れてもらえるよう、S牧師が福祉事務所に働きかけている最中のことでした。Kさんは退屈で検査ばかりの入院生活が嫌で仕方なく、早く退院したいといつも言っていたそうです。どうか勝手に退院したりしないでくれ、何かあったら連絡をくれと、良和さんが電話番号とテレホンカードまで渡していたのですが、目が悪く読めなかったからと、良和さんに連絡することなく退院してしまいました。これから喜望の家を通して福祉にかかりに行くつもりだと言っていましたが、本当に行ってくれるか不安です。退院したいというKさんの気持ちはよくわかるのですが…。夜回り活動の難しさをダブルで経験した1日でした。
平野夜回りの会報告1 (2001.3 by R.Y.)
 昨年は、@平野公園のコースとA流町のコース以外にB平野浄水場のコースを増やし、出会う人数も多いときには25人にもなり、まだまだ野宿者が多いことを知り、驚きました。さらに、昨年後半からは流町のコースに喜連の交差点とダイエー方面が加わり、範囲が広がったこともあり、@平野公園・浄水場のコースと、A流町・喜連・長吉のコースという2コースに分け、Aコースは車で回るようになりました。また、今まで夜8時半出発だったものを、夜8時からに変更し、昨年度後半は行いました。しかしその結果、Aコースでは今まで出会えていた人達と時間のサイクルが合わなくなり、出会えなくなるということもおこるようになりました。

 
また、昨年後半から役所の対応が変わり、野宿者からの希望があれば、福祉事務所がや巡回相談員が取り次いで、自立支援センターに入ることができるというパターンができてきました。これにより、僕たちが関わってきた野宿者の中からも、6名の方が自立支援センターもしくは福祉施設に入ることになりました。しかし、そういった施設ではお酒が飲めませんし、色々と制約も厳しいため、途中でまた野宿生活に戻ってきた方もおられました。

 
後半に入ってからは、自立支援センター入所や長居公園仮設の影響でか、夜回りで出会う野宿者の人数が、どんどん減ってきました。10月以降からは15人前後になり、現在にいたっています。これは喜んでいいことなのか、ただ単に日本中に野宿者が分散しただけなのか、はっきりとわかっていません。

 
以上のように、昨年度は試行錯誤しながらの夜回り活動でした。活動も3年目を迎えましたが、どれだけこの活動が意味をなしているのか、僕はいつも不安です。ただ、昨年12月から中学生が二人参加してくれるようになり、なにかしらの意味を持ってきているのではないか、と思っています。どうぞみなさんも、野宿されている方々や夜回り活動について、お祈りください。