ジャンヌ=ダルクの歩いた道

●時代背景
 14世紀から15世紀にかけて、イギリスとフランスは百年戦争を戦っていました。戦争はイギリス側が優勢で、ついにフランスは1420年、イギリス王がフランスの王になることを認める条約(トロワの和約)を結んでしまいました。これを認めないフランス王太子(王の長男)のシャルルは逆転のチャンスをうかがっていましたが、このようなシャルルを支持する勢力はわずかなものでした。ジャンヌ=ダルクはこんなときフランスに現れたのです。

 ジャンヌ=ダルクはフランス北東部のドン=レミ村の農家に生まれました。ドン=レミ村は現在でも人口200人足らずの小さな村で、ジャンヌの生まれた家も保存されています。村のまわりにはジャンヌが子供のころに遊んだ「かしわの木の森」が、まるで当時のままのように広がっています。
 18歳の時、「王太子シャルルを助けよ」という神の声を聞いたジャンヌは、はるばる旅をして
ン城でシャルルと会見します。シャルルはわざと王らしくない服を着てジャンヌを試しましたが、ジャンヌはみごとにシャルルを見破ったそうです。シノン城の部屋の中には、その時の様子を再現した人形がおかれています。左端がシャルル、右端がジャンヌ。
 シャルルの許しを得たジャンヌは男装をし、軍を率いてオルレアンへと向かいました。オルレアンはシャルルを支持する数少ない町の一つでしたが、イギリス軍に包囲されて陥落寸前だったのです。ロワール川にかかるこの橋(昔とは少し位置がちがう)のたもとにイギリス軍の砦がありましたが、激しい戦いの末ジャンヌはこれを奪い、イギリスを破ってオルレアンを解放しました。オルレアンでジャンヌが住んだ家は、現在博物館として保存されています。
 ついでジャンヌは、シャルルをはげましてランスの町へ行き、大聖堂で盛大な戴冠式(初めて王冠をかぶる式)を成功させました。当時、ランス大聖堂で戴冠式を行わなければ正式なフランス王とは認められなかったからです。正式に国王シャルル7世となった王太子を見て、今までイギリス側についていた貴族達も次々シャルルの側につき始めました。
 自信を得たシャルル7世はその後国をまとめ、1453年、カレーを除くフランス全土からイギリス軍を追い出し、フランスを勝利に導くことになります。しかしこの過程でジャンヌはしだいに王から疎んじられるようになっていきました。王の支援を得られぬまま戦ったコンピエーニュでジャンヌはイギリスと結ぶブルゴーニュ派貴族軍の捕虜となり、イギリスに引き渡されてしまいます。
 ジャンヌはルーアンで宗教裁判を受け、「男装
をしたこと」と「神の声を聞いた(とうそをいった)こと」を罪に問われて火刑にされてしまいました。ジャンヌ=ダルクは「イエス様!」と何度も叫びながら炎の中で死んでいったそうです。1431年、ジャンヌがまだ20歳になったばかりでした。ジャンヌが処刑された広場には現在モダンな教会が建てられており、火刑の場所のかたわらには、祈るジャンヌの像が飾られています