5月の第2日曜日、すべての母への愛と感謝をささげる「母の日」は、すでにキリスト教会から生まれた行事であることも意識されないほど一般的なものになっています。
1905年、アメリカ・フィラデルフィアに住む
アナ・ジャーヴィス(Anna Jarvis 右写真)の母親が亡くなりました。「お母さんが元気なうちに感謝の気持ちを表したかった」と悲しんだアナは、「母親を敬う日を作ろう」と思い立ちます。
1907年、アナはウェスト=ヴァージニア州グラフトンにある母親の通っていた教会を説き伏せ、5月第2日曜日に「母の日」の礼拝(彼女の母親の追悼礼拝)をさせました。5月第2日曜日はアナの母親の死んだ日なのです。その日はアナの提唱で、母親が健在な人は赤の、母親を亡くした人は白の
カーネーションを胸につけました。翌年にはアナの住むフィラデルフィアの教会でも5月第二日曜日に「母の日」礼拝が行われます。
アナとその支援者はその後、大統領・議員・企業家たちに手紙を書いて、「国民の祝日『母の日』を制定せよ」とのキャンペーンを開始しました。有名な“デパート王”ジョン=ワナメーカーもこの運動を支援しています。そのかいあって1911年ごろにはアメリカのほとんどの州で「母の日」が祝われるようになり、
1914年、大統領
ウィルソンは
5月第二日曜日を国民の祝日
「母の日」と制定しました。(ちなみに1914年は第一次世界大戦が始まった年です。)
以上が現在の「母の日」が生まれたいきさつです。
しかし、一人の女性の小さな運動がなぜこのような大きな広がりを見せたのでしょう? 実は、「母の日」というのはこの時に始まったわけではないのです。
「母の日」の起源は、最も古くは、古代ギリシアの「神々の母レア(Rhea)」を称える春の祭にさかのぼることができるとされます。
1600年代には、すでにイギリスで「
母の日曜日(Mothering Sunday)」が祝われていました。これは
受難節の第4日曜日で、この日は、奉公人や召使いたちは休みを取ることができ、久しぶりに家に帰ったかれらは、Mothering
cakeという特別なケーキを作って母親と時を過ごしたといいいます。
そしてアメリカでは、アナが運動を始める30年以上も前の1872年、すでに女性人権・平和運動家のジュリア=ウォード=ハウ(Julia
Ward Howe 右写真)という女性が「母の日」を提唱しています。彼女はボストンで「母の日集会」を組織し、毎年「母の日礼拝」を行っていたのです。
アナの運動の成功の背後には、このように長い歴史的背景が存在するのです。これが「父の日を作ろう」という運動だったら、こういう成功にはつながらなかっただろうな、と思うといささか複雑ではありますが。
ついでに日本では、「母の日」は、
明治末〜大正期にキリスト教会で初めて祝われたらしく(史料によって、1912年、13年、15年といろいろあってよくわからない)、現在のように一般的になったきっかけは、案の定というべきか、森永製菓が1937(昭和12)年からはじめたキャンペーンの結果のようです。